top of page

​霜月の君。

​視点:玖香様

神薙としての仕事はなく、束の間の休息を楽しむ昼下がり。

屋敷に籠っているのも勿体ないような気がして、目的もなく町に繰り出した。

 

歩いていると、ちらちらとこちらに向けられる視線。

人目を引くだろう、この格好のせいか。それとも、ここ〈山城〉ではある程度顔が割れている“神薙”だからだろうか。

もはや慣れたそれを意に介すことはなく、――けれど、軽く息を吐いた。

 

そうして暫く街並みと人々の様子を眺めていると、ふと、一人の少女が目に留まった。

往来の多い町を一人で歩くにしては随分と幼い少女。その子の周囲に視線を滑らせるも、親と思わしき大人は居なかった。

(――迷い子か)

そう思い再び少女へと視線を戻したその時、ぱち、と。その少女と視線が交わった。

言葉を交わすには少しばかり距離があったが、それでも、その子が酷く寂しい瞳をしていて。

 

「……ぬし、一人か?」

そう、声を掛けていた。

 

「……お、お姉さん、誰?」

「わっちは玖香。ぬし、ここには一人で来たのかえ?」

視線を合わせるようにして屈み、少女の瞳を正面から見つめる。

薄く水が張ったような双眼には、不安、疑念、焦燥……そういった感情が見て取れて、なるほどこの子は賢い子なのだと一人納得した。

 

(はて、どうすべきじゃろうか……)

無理に手を引いて怖がられるのは本意ではない。しかし、このまま置いておくこともできない。こんな時に人懐こい恵や豪瑩が居たなら……と思い、なんとはなしに、握りしめられた少女の両手に視線をやる。

すると、その小さな掌には、ぎゅ、と。赤い風車が握られていることに気が付いた。

 

「……っ」

こちらの視線に気が付いた少女は、その風車を隠すようにして両手を身体の後ろ側に回したのだが、そこで一つの違和感を覚えた。

 

「ぬし、それを貸してみるのじゃ」

その言葉に、はっと顔を上げる少女。

 

「何も怖いことはせぬ。ほら」

そう言って手を差し出せば、少女はおずおずと隠していた風車を掌へと乗せた。

 

「ふむ……、折れておるのう」

 

ぱっきりと、持ち手の部分が折れている赤い風車。

それを見て、いよいよ泣き出してしまいそうになる少女。

きっと大切なものなのだろうと、聞かずとも分かる。

 

「……さっき、落としちゃって。それで、ふまれて、」

 

そうしゃくりあげるようにして言葉を紡ぐ少女にふっと微笑み、折れた風車を掌で包み込んだ。

――とろり。

溶けたそれが指の間を滑り落ちる前に、再び形を創造する。

 

「ほれ、どうじゃ?」

 

そうして開かれた掌には、真新しい状態と変わらない綺麗な風車が乗っていた。

 

「え、え……?す、すごい……!お姉ちゃん、どうやったの!?」

桃色に色づいた頬と、きらきらと輝く瞳。その輝きは、涙に濡れていた先ほどの瞳のきらめきとは違うものだった。

 

「ふふ、ほうら、しっかり持つんじゃぞ」

「……うん!」

花が咲いたような笑顔を浮かべた少女の頭を緩く撫でたその時、後方から誰かを呼ぶ声が聞こえてきた。

その声に、はっと顔を上げた少女は一目散に駆けだしてゆく。

 

「お母さん!」

「椿!何処に行っていたの……!?」

 

 

『椿』。自分を指して呼ばれた名ではないのに、鮮明に響いた音。

 

「ごめんね、椿。ごめんね。あたしが目を離したから」

抱きしめた少女の背をさすりながら話す母親の声は、慈愛に満ちたものだった。

 

もう、自分の名ではないのに。

愛を込めて紡がれる名前になんとも言い難い気持ちになって、思わず瞳を細めてしまった。

 

「お姉ちゃん、ありがとう!」

笑顔で手を振る少女と、寄り添うようにして立ち、こちらに頭を下げる母親。

これ以上言葉を交わすのも野暮だと思い、ひらりと手を振ってその場を離れたのだった。

 

              *

 

 

 

「あ、姐様!」

 

朧月邸に帰れば、ぱたぱたと駆けよって来たのは八重だった。

 

「ただいま、八重」

くるくると周りを駆ける彼女に笑みを返し、廊下を進む。

 

「姐様、もう少し早く帰って来てくださったら良かったのに!」

後をついてくる彼女は頬を膨らませて残念そうな顔をしている。

「……なにかあったのかえ?」

そう八重の方へと視線を向けたのだが、返答の前に別の方向から「あぶない!」という声と、酒瓶が飛んできたのだった。

咄嗟に瓶を掴み、何事かと廊下の奥――丁度、台所の方を見やると、そこには仲間たちが勢ぞろいだった。

 

「お、流石玖香さん」

からからと笑いながら顔を覗かせたのは豪瑩。

「“流石”じゃないだろう。お前達はもっと落ち着きをだな……」

しかめっ面は万羽。

「す、すみません、手が滑ってしまって……!お怪我はありませんか!?」

青い顔をして駆け寄ってきたのは恵。

「手が滑って、あんなにも瓶が飛ぶのか……?」

不思議そうな顔をしているのは要。

「ふふ、折角のお酒が台無しにならなかったのだから、よしとしませんか?」

穏やかな笑みをたたえているのは常葉。

そのさらに奥からゆっくりと歩いてくるのは尊だった。

 

「お帰りなさい、玖香さん。実は、以前あなたが助けた商人がお礼をと言って……」

これを、と。指し示した方には新鮮な魚といくつかの酒瓶が並べられていたのだった。

 

「商人さん、姐様に直接お礼をお伝えしたいって、また来てくださるそうですよ!」

「そうかえ。次は会えるといいのじゃが」

自分のことのように嬉しそうな八重の頭を軽く撫ぜ、酒瓶を手ごろな台に置いた。

 

「ってことで、玖香さんのお陰で今夜はご馳走って訳だ!」

はは!と笑う豪瑩の後ろからすかさず鋭い視線を飛ばす万羽。

「どういった事態が起こるか分からない。羽目を外しすぎるなよ」

「おや、葉室さん。偶には休息も必要ですよ?あなたも含め、ね」

どこか可笑しそうに笑う尊。

 

そんな彼らの後ろでは、鮮度がいいのだろう、未だびちびちと跳ねる魚を眺めている要と、包丁を握りしめている恵。

「これは……」

「この魚は鱚と言うのです!こんな高級品、中々いただけないですよ……!」

「なるほど……」

 

(ふふ、ほんに、賑やかなものじゃのう)

 

こうした、なんてことない日常も悪くない。

そんなことを思いながら仲間たちを眺めていると、すっと、隣に並んだ常葉が秘密ごとを打ち明けるかのように耳打ちをする。

 

「玖香様、ワタクシもご相伴にあずからせていただきますね」

「……ああ、今夜は美味い酒が飲めそうじゃからのう」

 

そんな酒友の誘いにも、自然と笑顔を浮かべていたのだった。

​R5.11.11 玖香様、お誕生日おめでとうございます!

bottom of page