top of page

​睦月の君。

​視点:壬生様

どんよりと重たい雲に覆われ、濁った色をした空。

はらはらと舞い落ちる淡雪。

肌を撫ぜる空気は刺すように冷たく、行き交う人々の頬を紅色に染めていた。

 

「さ、寄ってらっしゃい!間違いなく今年一番獲りの鰤だよ!」

「そこのあんさん、いかのぼりはどうだい?ほうら綺麗なもんだろう」

 

あちらこちらから行商人の活気ある声が響くここは、年始の新町通。

御所からも近い位置にあるこの通りは節供の買い出しや初売り目当ての客で賑わっていた。

 

そんな町の中。

漆のような艶のある黒髪を揺らしながらきょろきょろと周囲を見渡しているのは壬生要だった。

 

「で、酒屋は……」

手書きの簡素な地図とにらめっこをしながら、目的地までの道を辿る。

 丁度今朝方、『料理酒が切れている』と困っていた恵に代わって暇を持て余していた自分が使いを申し出たのがことの始まり。

目的地は他の神薙らと共に使いを頼まれ何度か訪れていた場所だったので問題ないかと思っていたが、いざ一人で向かおうとすると意外と曖昧で。

 

手っ取り早く“力”を使おうか――

そう思い一度瞳を閉じたところで、はたと、思い出す。

 

……つい先日の話だ。

何かと力に頼りがちな生活を送る自分に対し、『むやみに力に頼るのではなく、頭で考え、身体で行動をすることも必要だ』と。

そんなことを苦笑交じりに説いてきたあの人。

思い出したが故に今この時もどこかから見咎められているような気持になってしまって、なんとも言い表し難い気持ちを追いやるかのように片手で雑に髪を梳く。

「次の角を右か……?いや左か」

 

言葉と共に漏れ出た白い吐息は、ほどけるようにして空に消えていったのだった。

 

 

              

 

 

 

「あ、要様お帰りなさい!」

「お帰りなさい!」

「ただいま」

 

無事使いを果たし朧月邸に帰ると、ぱたぱたと廊下を駆ける恵とその後ろに続く八重に出くわした。

朗らかに言葉を投げる二人に自分も言葉を返せば、続けて感謝の言葉を述べる恵。

最初の頃は慣れなかった“挨拶”という掛け合いも、大分板についてきたと思う。

 

「気にするな、暇だったから丁度よかった」

 

そう言いながら、徐に後ろの八重に視線を向ける。……いや、“引き寄せられた”の方が正しいか。

――何故なら、彼女の両手には得体の知れない『白い物体』が抱えられていたからだ。

そして、それを抱える彼女の袖口は、何かの粉のようなもので白く染まっていた。

 

「……八重、それはなんだ?」

「これですか?鏡餅ですよ!……あ、恵ちゃん、要さんにも手伝ってもらいませんか?」

「……確かに、人手は欲しいですよね」

こちらの質問もそぞろに、何やら二人で話し込んでいる二人を眺めること数拍。

「要さん、私たち今、鏡開きをしてるんです!」

「それで……、良ければ手伝っていただけませんか?」

自分よりも幾分か低い位置から向けられるふたつの視線はどこか楽し気で。

「鏡開き……」

聞きなれないその言葉を反復するが、一方の恵と八重は楽しそうに「ついて来てください!」と、廊下を先導しながら話を続ける。

「そうなんです!これまでは皆さん忙しくて、こういった行事もちゃんとできませんでしたが……今年はやろうって、尊様が!」

「でも、お餅の量が多くて……。万羽様と、豪に……豪瑩様が先に進めて下さってはいるのですが、大変そうなんです」

「……そうか、まあ手伝うよ」

 

鈍色の寒空すらも彩るような、まさに花が咲いたような明るい笑みを浮かべる二人。

その様子を見るに、きっと“鏡開き”というものは楽しい行事なのだろう……。

そんなことを考えながら、二人の後に続いた。

 

 

二人に続いて屋敷を歩けば、やがて一つの部屋に行きつく。

襖を開ければ中に居たのは朱鷺田と万羽だ。

二人は木の板を前に自身の着物の袖を捲り、手には包丁を握っている。

そして板の上には切り分けられた……白い……、餅、だろうか。

 

「残りのお餅持ってきましたよ!それと、要さんも手伝ってくださるって!」

揃ってこちらに視線を向けた二人に対してそう伝える八重。

「おう、助かるぜ」

そう言い笑顔を浮かべた朱鷺田と、反対に少し息を吐いた万羽。

「壬生、お前は……」

そう言いながら、視線だけでこちらの上から下までを眺める万羽。

「なんだ?問題があるなら言ってくれ」

「いや、まあいい。……汚すなよ」

「……?気を付ける」

そんな様子の二人を見て、朱鷺田は愉快そうに口を開いた。

「要さんの服、汚れたら目立ちそうだなって話だよ」

そう言った朱鷺田の手は白い粉で染まっていた。

(……そう言えば、八重の袖口も同じように汚れていたな)

 

「その白いのはなんだ」

そう問えば、やれやれとでも言いたげな顔をした万羽が手元に視線を戻しつつも言葉を続ける。

「打ち粉じゃ。この粉を打たんと包丁に餅が付く」

溜息まじりにそう言った万羽は手を止め、その場を離れる。

そして暫くして戻ってきた彼はその手に腰紐を持っていて、それをこちらに差し向けた。

「これで袖を捲っておけ。やらんよりはいいだろう」

「……悪いな」

 

そんなにも気をもまれる理由が今一つ分からないが、有難く受け取り袖をまとめる。

そうして支度を済ませれば、「じゃあ要さんはこちらで!」と楽しそうな八重がいつの間にか用意してくれていた所へと案内してくれる。

 

木の板の上に包丁、打ち粉、そして餅。

それらを眺め、包丁を手に取り……。

 

「で、まずはどうしたらいいんだ?」

​「……八重、恵。人選の誤りじゃ」

              

 

暫く皆で餅と格闘していれば、やがて最後の一つを切り終えることだろう。

「よし、終わったな!」

どこか達成感に満ちた朱鷺田の声が聞こえ、自分も一つ息を吐いた。

餅を切るというのは想像していたよりも重労働で、利き手は若干の痛みを訴えている。

手首をほぐしながら切り分けられた餅を眺めていれば、丁度その時部屋の襖が開き、冷たい空気が流れ込んできた。

 

「どうじゃ?進んでおるかの」

「お邪魔いたします」

その声と共に部屋へ入ってきたのは玖香と常葉だった。

「まあ……、本当に凄い量ですね」

板の上に並べられた餅を見て常葉が驚いたように眉を上げると、万羽が言葉を返す。

「おん。ついでだと御所内の鏡餅全てを押し付けられとるからの。……全く、いい雑用係じゃ」

「はは。ま、でも俺は楽しかったぜ。な、万羽さんも楽しかっただろ?」

「何をぬかすか。尊様に頼まれとらんかったら願い下げじゃ」

「はは、とか言って。頼まれなくても手伝うだろうに」

なあ?と同調を求めるように周囲に視線を向ける朱鷺田に、八重や恵は笑顔で頷いていた。

そんな様子を見ていた常葉は頬に手を添え、「ワタクシもお手伝いしたかったのですが……」と、残念そうに眉を下げ、並べられた包丁の柄を指でなぞっている。

 

「丁度よい。今しがた常葉と雑煮の支度を済ませたところじゃ」

「あら、そうでした。ワタクシたち、皆様へお食事の声掛けに伺ったのでしたわ」

「……それと、尊からの言伝じゃ。先に昼餉を始めていてよいと」

それだけを言うと、いくつかの切り餅を板に乗せ部屋を出て行った玖香。

その後ろ姿に向かって「お手伝いします!」と駆けて行った恵。

そんな恵を追うように「待って恵ちゃん、私も手伝います……!」と煽風のように部屋を出る八重。

 

「……相変わらず、奴らは騒々しいのう」

「あら。彼女たち、元気でとても可愛らしいじゃありませんか」

ふふ、と笑い声を漏らした常葉は残りの切り餅と板を積み上げ軽々と持ち上げたかと思えば、「ワタクシも戻りますから、皆様もすぐいらしてくださいね」と部屋を出て行った。

 

部屋に残ったのは男参人衆。

「ところで、尊はなんで居ないんだ?」

純粋な疑問をそう口にすれば、すかさず万羽が口を開いた。

「馬鹿もん、尊様は挨拶周りじゃ。昨日言っておろうが」

「……そうだったか」

言われて思い返せば、確かにそんな話を聞いたような気もする。

「方々巡って夕刻までかかるかもしれないって言ってたし、昼餉どころじゃないかもなぁ」

「挨拶をするのに、そんなに手間を取るのか」

「ただの挨拶だけで事が済むわけなかろう……」

 

額に手を当て頭が痛そうな顔をする万羽を見て、そういうものか、と心中で納得をした。

そんな俺たちを見て、朱鷺田は相変わらず楽しそうにしていたのだった。

「……なあ。鏡餅って、後からああやって切るのに何でわざわざでかい塊にしてんだ?」

「……それを言ったら元も子もなかろうに」

「はは、確かに」

​R6.1.28 壬生様、お誕生日おめでとうございます!

bottom of page